個人Project 廣林花音

Q なぜ長谷部研究会に入ったのですか?
また、数あるプロジェクトの中からどうしてCDPを選び、個人プロジェクトとして活動をした理由を教えていただきたいです。

高校時代からずっと農業の魅力に惹かれて主に農家さんの現場に通ってきました。学校で学んだことよりも、農家さんとの人間関係や、その場の土に触れることから自分で感じて学んだことの方が、「自分の哲学や今の考え方の軸となっている」実感がありました。長谷部先生の言葉に「人と人とのコミュニケーションが教育のはじまり」というものがあります。私は先生の教育の定義にすごく共感して、「ここにヒントがあるのかな?」と感じて長谷部葉子研究会に入りました。当時はまだ知らないことだらけでしたが、2年くらい研究会に所属する中で「自分がなぜここにいたいのか」が少しずつわかってきたように感じます。

一番初め(〜2期目まで)はCDPに入っていました。理由は単純で「福重さん(先輩)が畑をやっていて、この先輩と一緒にいたら農業ができるんだ!」と思ったからです。「私はどんなところにいても、自分がいる環境で農業というテーマを持って動く」性質があって、まずは自分のやりたいことを自分の足元見ながら、週3、4回SFCから自転車で10分くらいの農家さんのところに行くなど自分の興味分野を遠藤地域や藤沢市で活動していました。長谷部先生の授業の合宿で、私がSFCの周りでご縁を持った農家さんと家族を講演会に呼べた時に「繋げるってこういうことだなあ」と、初めて繋げることの重要性を学びました。でも今阿蘇に来てから、「こういう時これが大事だったのか」とか「あの時こうしていたらもっと良かったんだろうな」と思うことができて、CDPで自己中に色々やっていたから、改めて本当にお世話になっていたと気づきました。

今、滞在させていただいている阿蘇はたまたま自分がたどり着いて始まりましたが、そこでもCDPの哲学はずっと変わってないなと思います。自分がどんなところにいても農業という「生きる営み」を軸に活動していることは変わらないので。ただ、私自身なぜ自分は阿蘇で活動しているか、滞在してからずっと考えてきましたが、本当にたまたま流れ着いて好きになったので……!「阿蘇だけ特別」ではなく、どんな地域に行ったとしても、今日も農家さんとお味噌作りをしたように「生きる営みを自分で探して、そこでいろんな人と縁を持って、楽しく生きれるから」、ということに気づきました。だから私はフィールドの場所よりも、農業という軸が一番大事だなと思いました。

Q 今は農家さんの家で住み込みでもう半年以上、毎日を共に過ごしていると思いますが、活動してみて感じていることを教えてください

「私は自分がこの地域にいる価値や意義が何か」と言われても、「自分1人がここにいても、変わるものではない」と思うんですよね。今、自分と関わっている人たちの記憶に「私がいた」くらいなのかなと思って、私1人が何かを残せると思ってしまう傲慢さを持ってはいけないという気持ちと。ただ最近は、私が今「大学生として」滞在させていただいている中で「何か私が残せるもの、次につなげていくために私が大学生という立場で何かつなげていくものはないかな?」と思いながら、いろんな農家さんに行って活動しています。

そういえば今、地域おこし協力隊の写真家の人が「南阿蘇村の村民図鑑」という、南阿蘇村の人の写真を撮って冊子にまとめたものを市役所で無料配布しているんですよ。これがまた、すごく良い写真で。南阿蘇村の人は移住した人が多いけど、この冊子では「なぜ移住したか」にも丁寧に触れていて。昔からいる人も、移住の人も混ぜこぜの冊子が出来ていて、地域の人たちもみんなすごく喜んでいたのが印象に残っています。この冊子を見た時、その写真家さんのいる価値がこれだと感じて、より「私はどんなことができるか」をすごく考えさせられました。

Q印象に残っていること、大変だったことはありますか?

私がこっちにきて、別に農業に興味がある学生だけじゃなくて、もっとより生きる人たちみんなの学びとしての農業を、半年でも経験することって大事だなと初めて心から思いました。だからこそ「初めて私だけの経験で終わらせたくない。このご縁を、私の次の代の人とかも来れるようになったら本当に良いなと思っています。去年私は研究会で「持続可能性」を求める意味が体感としてなぜ大事かわかっていなかったのが、3ヶ月阿蘇で一緒にお米づくりをした友達がどんどん変わって行ったのが、最終的に農業をしない彼女が、Barのママをチャレンジし、結果、生きる源の農業の根本知っているから、ブレなくなった気がしました。私はそこに農業の可能性を感じて、一番の衝撃で印象に残っています。この友人の存在が、「もっとこの経験を他の人にも経験して欲しい」と思うきっかけになったので一緒に3ヶ月半過ごしたのは貴重な日々でした。

彼女やべえですよ。この前12月23日くらいから、1週間弱、南阿蘇にまたきてくれて。その友人を阿蘇で迎えにいった時、里帰りした友達を迎えにいく、地元の友達の気分になって、なんか良いなあって思いました。

Q 阿蘇の魅力を教えてください。

成人式前後だけ地元、富山県に戻っていたんですけど、ずっと「阿蘇に帰りたい!」と思っていました。阿蘇村の家は、室内なのに口から白い息が出るような、外よりも寒い家なんですけど、寒い朝を感じさせてくれる環境です。居るだけでこの地球に感謝できるくらい、美しい阿蘇の空気と山も綺麗なんです。しかも、滞在先の大津愛梨さんをはじめ、そこに住む人たちは本当にすごい人たちが多くて。にもかかわらず、全然自分たちを自慢しないんですよね!毎日大きい阿蘇山に囲まれているからこそ、自然には敵わない「謙虚さ」を持っている姿がすごくかっこよく見えます。

阿蘇の日常を、それぞれストーリーを持ってたどり着いたいろんな人たち皆で紡いでいるのが、絵本に出てきそうで。「どの人がおすすめですか?」と言われても、選べないくらい素敵な人たちがいるから、阿蘇に少しでも興味がある人や環境に来てみたい人は、気軽にきて欲しいと思うし、なんとなく「この人とこの人会うんじゃないかな」と繋ぐことができるくらいにこれからも地域の人と触れていきたいと思います。農家さんと片付けしていた時に「今日めっちゃあったかい日だなあ」と10~12℃だと思っていたら、マイナス6度で、体感温度が狂ってきたました(笑)九州だけど、標高が高いので寒いですが「毎日生きててよかったな」と思える日が毎日続いている今、これを続けていきたいし、自分が失敗しちゃうこともあるし、もやもやしても山に向かって叫ぶこともできるし、「失敗してもいっか」と思える環境に今いられることが本当にすごく幸せです。